我が家は日本とアメリカのミックスファミリー。
見た目や言語で虐められたり差別されることは今までもあるし、残念ながらこれからもなくなりはしないと思います。
3歳の娘はインターナショナルスクールに通っているので、スクールのお友達の肌の色、人種は様々です。
3歳児の感じ方
3歳児にとって肌の色や言語の違いなどはどう感じるものなのだろうかと、お友達一人一人をどう思っているのか聞いてみました。
A君 強くてかっこいい男の子。 | |
B君 目が丸くて可愛い男の子。手をつないで公園に行って嬉しかった。 | |
C君 面白い男の子。おもちゃを投げるから先生に怒られてる。いつも一緒に楽しく遊んでる。 | |
Dちゃん 可愛い女の子。怖くて優しい。 | |
Eちゃん 可愛くていつも私と遊んでくれる。 | |
Fちゃん 顔が怖くて優しい。 | |
Gちゃん 可愛い。C君がいつも物を投げるから怒ってる。 | |
Hちゃん いつも忙しい。可愛い子。 | |
I ちゃん 可愛い。2歳ごろ遊んで一緒にハグした。 | |
Jちゃん 可愛い子。C君と一緒に物を投げてるから先生に怒られてる。 | |
K君 可愛い男の子。ぱっちりした目。 | |
Lちゃん Dちゃんといつも遊んでる。 | |
他の男の子たち 名前はわかんないけどみんな優しいお兄さん。 |
肌の色や言語には触れずに、その子はどんな子なのか、あなたはその子をどう思っているのか、という聞き方をしました。
ほとんどネガティブな感情は持っていないようです。
スクールにはアジア系、白人系、黒人系、南米系の子供がいて基本言語は英語です。英語がほとんど話せない日本人もいるし、今までは日本語も英語もわからない子もいました。
スペイン語を流暢に話す子もいればヒンズー語、韓国語が母国語の子もいます。見た目が日本人に見えても日本語は全くわからないという子も。
娘は日本人と白人のミックスですが、みんなの肌の色の違いもまるで気になっていないようです。
親の言動の影響
私たち両親は人種差別について厳しい考えを持っている方だと思います。
夫は幼少期に日本に住んでいた時は外人!ヒロシマを返せ!などと言われ虐められかなりの心の傷を負っていました。
私は日本で日本人として育ってきましたが、転校が多く常によそ者扱いをされ、虐められてきました。私は幼い頃から東南アジア系にみられることが多く、外人が転校してきたなんて噂にもなりましたし、日本語わかりますか?は大人になっても言われました。
※我が家では外人という言葉は差別的と捉えているので使いません。
幼児に差別、ということを教えるのはとても難しいと感じていましたが、親や身近な大人がまず差別をしない、差別的なことを言わない、という当たり前のことをしていれば自然と身につくことなのではないかと思います。
知っている人で差別的な発言をする人の子供は差別的な発言をしてしまっている。恐ろしいくらいに身近な大人に影響を受けているなと感じます。
- 〇〇人は怖い!
- 障がいのある人はかわいそう!
- 言語が上手ではない人を笑う。
- 外国人は犯罪者ばかり!
- 女の子(または男の子)なのに〇〇は変だよ!
- テレビでのブス、デブ、等見た目を馬鹿にする番組を観て笑う。
さらっとこういうことを言ったりしたりしていませんか?
こういうの、子供は見てるし聞いています。そしてそれを見て育ちます。
私は毎日自分の発言を振り返ってみています。少しでもおかしかったなと感じたら、気付いた時に子供にそれを説明します。3歳児にそれがわかるかどうかはわかりませんが、何も言わないで流してしまうということが良いとは思えないのです。
褒める
私はいつも娘を褒めます。意識して褒めているわけではなく素敵なところは自然と褒めてしまいます。
それは夫の影響が大きいと思うのですが、彼は私を常に褒めてくれます。
綺麗だよ。可愛いね。いつも〇〇してくれてありがとう。
常にポジティブなことを言ってくれるのです。
娘もいつもそれを聞いているので、いつでも私を褒めてくれます。家族の中で連鎖してみんないい気分です。自信も持てます。
誰かがネガティブな気持ちになってしまった時も、他の誰かが褒めてくれて優しいのでまた明るい気持ちになれるんですよね。すごく助かっています。
自分に自信があれば他者を蔑んだり差別することなんてなく、優しさというのも連鎖するものです。
先日娘に自分をどう思うか聞いたところ「頭が良くて面白くて可愛くて絵が上手で好き」と誇らしげに言っていました。自分に自信を持っているのはとても素晴らしいことだと思います。
まとめ
3歳児に直接「差別はいけません。それは〜だからです」と教えるのも私は大事だと思います。
ですがそういうものは経験で最も身についていくものなので、まずは親や身近な大人が行動で示して行くことが大事なのではないでしょうか。
あとは自己肯定感を高めてあげることが「差別する」という卑劣な行動に走らない人間になるために必要なことだと感じます。